high land church
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そのままとは「どのまま」なのか

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大きな願い(本願)に
生きる以外
ほんとうの自分に
育てる道はない



難しいのは「ほんとうの自分」という言葉ではないでしょうか。
ほんとうの自分と言えば、何か自分の中に眠るすばらしい、理想の自分をイメージしてしまいます。しかし、仏道の場合、ほんとうとは、「私」にとってほんとうではなく、仏様から見たほんとうなのです。それは決して「私」にとって理想的なものとは限りません。自分の理想とはかけ離れた愚かな自分自身であったとしても、それでも自分を知ることは「自分から自由になるため」にとても大事なことなのです。

本当のことがわからないと本当でないものを本当にする

安田理深


22:55 | comments(9) | -

仏様を遠くに置いて拝んでいませんか。

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『「きばり心」と抜いたとたん、あんな快い、安らぎの世界に変わる』




「きばり心」をが見えない、見ようとしないのが私たちのあり方で、その苦悩の原因を自分の外側へ求めようとする生き方をお釈迦様は「外道」と言われました。仏道は「内道」であって、自分自身の内側にある「きばり心」に気づかせてくださるのが仏様の智慧と慈悲なのでしょう。自分の「良識」「常識」「価値観」にどれだけ「依存」しているのか。仏様はさらにその奥底に隠れている「弱い私」を見つめているのです。私たちは自分の外で仏様に出会うのではなく、自分の心の奥底で仏様は待っておられるのです。
23:48 | comments(1) | -

「自分の声」ばかりに耳を傾けている。

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『本当の「話し合い」は聞き合うこと』



「聴く身にさせていただく」と、学生の頃よく諭されました。若げのいたりか、仏道を「理解してやろう」とする自分の傲慢さに気づかせようとしてくださったのだと思います。仏道「を」学ぶのではありません。仏道「に」(自分を)学ばせていただくのです。自分の生きてきた経験・知識にしがみついている人間ほど、仏様に手を合わせることが出来ません。それらがすべて崩れ落ちた時、初めて仏様の声が聞こえ始めるのです。
15:16 | comments(0) | -

「これから」を求め続ける自分に気づくこと

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これからではない すでに「救いの御手」のなか



私たちはいわゆる「宗教」を「これから助かるもの」と思っています。
仏道は、何かを信じることによって得られる見返りではなく、
すでに満たされていたことへ気付かされるものなのです。
そのためには、私たちの心に空いた「穴」を自覚することが大事であり、
その穴が「見える」ことこそが、仏様に出会うということなのです。
08:53 | comments(0) | -
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