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「にんげんごみばこ」

評価:
のぶみ
えほんの杜
¥ 1,296
(2008-04-08)

いらないひとは いないせかい。

きらいなひとは いないせかい。

そんなひとは どんどん すてちゃおう

にんげんごみばこに すてちゃおう

 

 

私たちが生きている「世界」の中では、「いらない人」や「嫌いな人」が必ず存在しているのではないでしょうか。「それらの人達」のせいで私の人生の楽しみを奪われてしまっていると感じている人も多いのではないかと思います。そんな気持ちを代弁したのか、あるいは皮肉にしているのか、この絵本の冒頭は上記のような言葉で始まります。

 

この絵本の世界にあるのは「にんげんごみばこ」という「にんげん」を捨てることが出来る物体です。そこに多くの人が人を捨てるためにやってきます。主人公もその「ごみばこ」の前に並ぶ人達の一人です。捨てられる人間はパパ、ママ、先生など様々です。理由は「うるさい」「つまんない」という「不快」や「嫌悪」の感情です。

 

ただ、にんげんごみばこの前には一人の男性がいます。その男性は主人公に問いかけます。

 

「本当に捨てていいの?もう一生会えないよ」と。

 

主人公は黙ってしまいます。目の前の人が「いなくなったとしたら・・」そこで初めてその存在について問われるのです。主人公は一緒にお風呂に入ったことなどの楽しい思い出を思い出します。

 

そして最後に「今度にしようかな」と男性に告げます。

 

結局皆がごみばこに捨てることなく帰っていき物語は終わりを迎えます。

 

 

私たちが見ている世界(可視領域)というのは本当に少ないのです。紫外線も放射能も空気でさえ見ることは出来ません。しかしそれらが無いわけではありません。そんな事は当たり前だと多くの人が思うと思います。では心はどうでしょうか。心の中の世界で「見えているもの」「映し出されているもの」は本当でしょうか。全てでしょうか。「私の都合」というフィルターを通して私たちは現実という「物語」を体験しているのです。「自分自身の作り上げた正しさという名前のルール」が他人に投影(映し出されている)事を考えてみるのもひとつなのかなと思います。

 

私は役目柄多くの人の死に立ち会ってきました。その多くの遺族の方が大切な人の死に出遭い初めて大切な人の存在の大きさ、与えられていたものの大きさに気づく場面を見てきました。自分の周りの人があと三ヶ月の命だったら?また、自分自身の命があと三ヶ月だったら?そう考えてみるだけで「物語」の枠が少し外れると思います。「にんげんごみばこ」は誰もが心の中に持っているものなのでしょう。そしてその前には「本当にそれで良いの?」と尋ねてくるもう一人のあなたがいるはずです。

 

 

 

 

07:41 | comments(0) | -

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